瞑想の経験が浅いうちは、瞑想に時間を費やすことに意味があるのか、もしくは、時間の無駄なのかを見定めることは大切ですよね。
人生の貴重な時間を無駄にはしたくないですものね。
ここでは、意味ある瞑想と意味のない瞑想の違いを解説します。
意味のある瞑想とは
意味のある瞑想とは、「目的と行動力が一致している」瞑想です。
「瞑想をする意味はちゃんとある」という信念のもとに、自分自身の興味があることを瞑想中に体験している場合は、瞑想をすることに意味があります。
瞑想とは、結局は、自分自身を取り戻す為や、アセンションの準備をする為に行う作法ですが、それらの目的に行きつくまでの瞑想をする目的は、完全に個人の自由です。
例えば、「瞑想をして、リラックスしたい」と感じているのであれば、リラックスをすることが瞑想の目的となりますし、「サードアイ(松果体)を開きたい」と感じるのであれば、サードアイを開くことが瞑想の目的となります。
いずれにしても、私たちは、100%信じると、それ相応の結果を得ることができます。
つまり「瞑想をすることで目的を達成することは当然できる」という信念があれば、瞑想を続ける為の行動力や、瞑想中に体験することへの集中力が自然とついてきます。
瞑想の目的がしっかりしていて、瞑想は意味があるという信念があれば、行動力が目的と一致し、瞑想で結果を得ることになるでしょう。
「瞑想は効果があると信じ、瞑想をするという行動ができるから、望んだ結果を得ることができる。」これが、意味のある瞑想です。
意味のない瞑想とは
意味のない瞑想とは、「目的が曖昧で、行動力が伴わない」瞑想です。
目的が曖昧というのは、瞑想をする目的が自分の中で定まっておらず、「人が瞑想をしているから」とか、「人に瞑想しろと言われたから」という他人的な理由で始めることです。
この場合、「瞑想をする意味がある」という信念もありませんし、「瞑想で効果を出したい」という気持ちも弱いので、行動力も弱く、瞑想の結果を手に入れるまで瞑想を続けることは難しいでしょう。
瞑想をする目的が曖昧だと、例え頑張って瞑想を続けたとしても、どうしても結果を得にくくなります。
つまり、意味のない瞑想とは、「心が求めていない状態で行う瞑想」と言えます。
まとめ
瞑想は、流行っているからするものでもなければ、人に言われたからするものでもありません。
瞑想とは、あなたの心が「瞑想をしたい」と感じた時にするものです。
あなたの心が瞑想をしたいと感じているのであれば、瞑想は必ず意味を持つようになるでしょう。
反対に、あなたの心が瞑想を必要としていないのであれば、瞑想が意味を持つことはなくなるでしょう。
どんな時も、あなたの心に従うことを心がけましょう。
心があなたに「瞑想に興味がある」と伝えているのであれば、瞑想をすることが無駄になったり、がっかりする結果に終わることにはなりませんから。