瞑想で「気持ちいい」と感じる理由
瞑想で「気持ちいい」と感じる理由は、私たちが心を開いて、幸せを感じているからです。 私たちは心を開く為に瞑想をします。 心を完全に開くことができると、幸せになることができ、幸せになれば、私たちは意識レベルをどんどん上げて、意識を覚醒することができるようになっていきます。 心を完全に開いて、幸福感を感じることができる=心をマスターすると、条件に縛られずに、気持ちの良さを感じることができます。 私たちの多くは、心が開いているかどうかを普段気にすることはあまりないでしょう。 そして、私たちの心は、無意識のうちに閉じていたり、いつの間にか少しふさぎぎみになっていたりします。 その閉じ気味な心を瞑想をすることで開くことができるので、その心が前よりも開く時に、私たちは表現のしようがないほどの気持ち良さを感じるのです。 心の開き具合は、元の状態よりも大きければ大きいほど、広がれば広がるほど、気もち良さも大きなものとして実感できます。 私は個人的に、心をマスターした状態、つまり、心を完全に開いた状態よりも気持ちが良いことを知りません。 その気持ちの良さを例えるならば、 暖かい南国の穏やかで透明な水の上にプカプカ浮かんでいるような、 極上のマッサージや指圧などの癒しのフルセットを数時間体験した後のような、 雪の降る寒い冬に、暖かい温泉に入って、「うえぇ~しみるぅ~」というような、そんな感じです。 これらの表現ではまだまだ足りないほどの気持ちの良さですが、これを表現する言葉がこの世には足りません。 もうそのくらい、心が完全に開くと、気持ちがいいです。 しかも、心を開いた状態を継続できればできるほど、幸福感を常に感じることができるようになります。 例えば、「良いことが起こったから」とか、「成功しているから」といったような条件を無くして、この世で最高の至福感を感じる続けることができるのです。瞑想で「気持ちがいい状態」を感じることができるとお得なこと
瞑想で気持ちがいい状態を感じることができると、もちろん、気持ちがいいので、それだけでも大変幸せなことなのですが、瞑想で気持ちが良い状態になることができると、夢を叶えることができるようになります。 私たちは、「夢や願いがまだ叶っていないから完全な幸福感を感じることはできない」と思いがちですが、本当は、幸福感を感じることができないから、夢や願いを叶えることができないのです。 私も昔は、「今のままでも十分幸せだけれど、完全に何も心配しないですむくらい幸せになるには、まだまだ叶えたい夢がある」と思っていました。 ですが、瞑想で覚醒体験をし、多くを悟った後で分かることは、私たちは、幸せになることができなければ、夢や願いを叶えることはできないのだということです。 絶対に不可能であるとは言いませんが、不幸せな状態で夢や願いを叶えることは、本当に難しいでしょう。 頑張って願いが叶ったと思っても、それと引き換えに何か大切なものを失っていることがほとんどでしょう。 例えば、「仕事で成功したけれど、家庭を失った」とか、「お金持ちになったけど、信頼を失った」とか、不幸せな状態でものすごく頑張って目標を達成すると、同時に何かを失っている可能性が高いです。 ですが、私たちが、幸せを感じている状態で夢や願いを叶える時、私たちには失うものがありません。 それどころか、幸せの輪はどんどんどんどん広がっていきます。 また、例えば、あなたが意識を覚醒したいと願っているのであれば、心をマスターして、気持ちいい瞑想を体験することは必須です。 瞑想で、極上の気持ち良さを経験したことがないということは、心を開くことができていないということです。 このような心をマスターしていない状態で、意識が覚醒することはほとんどありません。 仮に起こったとしても、弊害を伴う可能性が高いです。 瞑想をしている間に、表現のしようがないほどの、極上の気持ち良さを感じることは、夢や願いを叶える為に、もしくは、覚醒する=頭をマスターする為には必須です。 瞑想で気持ちの良さを感じることができたあなたは、迷わずに、願いを叶えることへ進みましょう。 まだ、気持ちの良さを感じたことがない場合は、焦らずに、今は心をマスターすることに専念しましょう。