瞑想をする姿勢を、仰向けでやるべきか、座ってやるべきか悩む時がありますよね。
ここでは、瞑想を仰向けでやる理由と、瞑想を座ってやる理由についてお話します。
瞑想は仰向けでやるべきか、座ってやるべきか
あなたがもし、座って瞑想をできるのであれば、あなたは仰向けではなくて、座って瞑想をするべきです。
あなたがもし、座って瞑想をすることが苦痛で仕方がないのであれば、あなたは仰向けで瞑想をするべきです。
私たちは、仰向けで瞑想をできる状態をクリアできると、やがて座って瞑想をできる状態になります。
これはどういうことかと言うと、私たちの状態によって、瞑想との付き合い方が変わるのです。
とても簡単に言うと、
瞑想しない
↓
仰向けで瞑想する
↓
座って瞑想する
↓
動きながら瞑想する
↓
瞑想をしなくても大丈夫になる
という感じで、私たちの状態によって、瞑想のスタイルも変わっていくのです。
例えば、仰向けで瞑想をする理由は、体の都合で仰向けでしか瞑想をできない場合があれば、座って瞑想をする気になれない場合もあるでしょう。
どんな理由であっても、あなたが仰向けで瞑想をすることになるのであれば、あなたの状態は、仰向けで瞑想をする状態であるということです。
そして、あなたが、座って瞑想をできるということは、あなたの状態が、座って瞑想をできる状態です。
この場合、わざわざ仰向けで瞑想をする必要はありません。
座って瞑想ができるのであれば、座って瞑想をするべきです。
「仰向けで瞑想をする状態」と「座って瞑想をする状態」とは?
座って瞑想をできる状態というのは、「何かを目指すことができる状態」です。
逆に、仰向けで瞑想をする状態というのは、「何かを目指すことがまだできない状態」ということです。
「何かを目指すことができる状態」というのは、希望や夢、願いなどを自覚できている状態のことです。
「何かを目指すことがまだできない状態」というのは、希望や夢、願いなどと向かい合うことができていない状態のことです。
極論を言えば、「何かを目指すことができる状態」というのは、「心を開くこと」に対する心の準備ができているということです。
そして、「何かを目指すことがまだできない状態」というのは、「心を開く」ことに対する心の準備がまだできていないということです。
どちらが優れていて、どちらが劣っているというお話ではありません。
単純に、座って瞑想をする人と、仰向けになって瞑想をする人は、異なる状況にあるというだけのお話です。
あなたが、「座って瞑想をできる体を持っているけれど、仰向けで瞑想をしたい」と感じる場合は、今は心を開くことを目指すよりも、心を開くことの心構えを必要としているということです。
あなたが、体の都合で座って瞑想をすることができない場合も、心を開く心構えが今は必要だということです。
心を開く心構えは、簡単なようで難しいことがあります。
心を開くことを躊躇してしまう理由は、今まで隠し持ってきた辛い気持ちと向き合うことになるからです。
辛い気持ちをまた生々しく感じた時に、どうすればいいのかを理解していないと、単に「嫌な気分をして損をした」と感じてしまいがちです。
だから、「心の奥底にある辛い気持ちと向き合う必要はない=心を開く必要はない」となってしまうのです。
「心を開きたくない」または「心を開く必要はない」と思っている時は、座って瞑想をする気にはなれません。
代わりに仰向けに瞑想をすることを無意識に選ぶようになります。
「瞑想をする必要性は感じているけれど、今はまだ心を開く覚悟はできていない」といった感じです。
あなたが瞑想をする姿勢を、座った状態にするか、仰向けにするか悩む時は、あなたの心が感じる方を選びましょう。
どちらでもいいのです。
先ほど言ったように、どちらが良くてどちらが悪いということではないので、今のあなたの状態に合った方、つまり、あなたの心が感じる姿勢で瞑想をすることが大切です。